So-net無料ブログ作成
検索選択

万里の長城の端はどうなっているの? [某月某日@中国]

北京に駐在していた時、日本からの来客があると万里の長城に案内することがよくありました。北京郊外には、万里の長城を見学できる観光地がいくつもあります。最も有名なのが八達嶺(はったつれい)長城です。おそらく、日本人観光客で万里の長城を見た人の9割以上はこの八達嶺長城を訪れたものと思われます。下の写真が八達嶺長城です。
Aug05^35.JPG

Jul25129.JPG

八達嶺長城は中国の中でも最も大きな観光地の一つです。長城はきれいに整備され、入り口から左右いずれの方向にも長城の上を数km歩けるようになっています。たいていの観光客はバスの時間の制限などから数百メートル歩くだけです。土産物店もたくさんあり、日本円でも買い物ができます。

万里の長城といっても、総延長8851.8kmもあります。北京郊外には八達嶺長城だけでなく、慕田峪(ぼでんよく)長城や司馬台(しばだい)長城、金山嶺(きんざんれい)長城、居庸関(きょようかん)長城などがあります。これらの長城にも行きましたが、北京から遠いほど鄙びており、石壁が壊れている箇所も多く、風化が進んでいます。初めて見るには八達嶺長城が最も感激しますが、何度も行くとあまりにも人手が加わっていてわざとらしく感じられます。かえって、司馬台長城のような鄙びた場所のほうが先人の努力に想いを馳せることができます。

長城には500mおきくらいに見張り台があります。上の写真で、長城の途中に四角い箱のように見える場所が見張り台です。レンガ作りで、中には幾つかの部屋があります。見張り台は、大きなものでも日本の普通の住宅一軒分くらいです。小さなものはワンルームマンションより小さめです。往時にはこの中に兵士が詰めて敵の来襲を見張っていました。40℃を超える夏の昼間や-20℃以下になる冬の夜に見張りを続ける大変さが偲ばれます。それと兵士への食料供給も簡単ではなかったと思います。よくこんなものを作ったものだという感じがします。

以前から万里の長城の端はどうなっているのだろうかという疑問を持っていました。
2001年の5月に長城の東の端、同じ10月に西の端を見る機会がありました。
東の端は渤海にありました。北京から東に約300km行った海の上です。下の写真がそれです。山海関の老龍頭長城と呼ばれています。長いながい長城を大きな龍にたとえて、その端を頭に見立てています。
Jul25^57.JPG

これが長城の東の端にあたりますが、海上を通って攻めてくる敵に対抗するために山海関城が設けられました。その東の大門がこの「天下第一関」です。これらをみると、中国はスケールの大きな国であることが実感できます。
Jul25^67.JPG

西の端は、北京からみると西へ直線距離で約2000km離れています。敦煌の西北西約100kmにある玉門関の近くにあります。

ここがまさに万里の長城が砂漠の中に消え行く最西端です。往時はもちろんここまできちんとした長城が作られていたのでしょうが、何百年もの風雪によりこのような姿になっています。
Feb23_93.JPG

東へ移動すると、少しずつ長城の名残が大きくなってきます。
Feb23_92.JPG

その横には狼煙台が残っていました。だいぶ風化していますが、往時は敵を見つけるとこの上で狼煙を上げて敵の来襲を告げたものと思われます。おそらく北京まで情報が伝わるのに数日を要したのではないでしょうか。敵の映像までも瞬時に送れるいまのインターネット社会を見たら、往時の兵士は何と思うでしょうか。
Feb23_95.JPG

さらに移動すると、長城の痕跡がだいぶ残っています。土と藁を交互に敷き詰めた構造です。おそらく往時はこの上にレンガを敷きつめて、八達嶺長城と同じような強固な壁を作り出していたものと思われます。
Feb23_91.JPG

その近くには玉門関という関所の跡が残っています。いわば税関のようなもので、ここで通行人のチェックをしていたようです。
Feb23_97.JPG

その脇には、役人や兵士のための食料倉庫の跡も残っていました。
Feb23_82.JPG

それにしても、このような壮大なスケールの軍事施設を作る国、中国、の底知れぬパワーを感じずにはいられません。

本題とは無関係なことですが、今回使った写真の最初の4枚はネガフィルム、後半6枚はポジフィルムで撮ったものです。10年経つとネガフィルムは元の色から大幅に変色していますが、ポジフィルムはほとんど変化がありません。この違いは大きいですね。
nice!(4)  コメント(5)  トラックバック(0) 

nice! 4

コメント 5

六日のアヤメ

15年前上海へ演奏旅行に行った帰りに北京へ寄りました。私たちが行った所も八達嶺だったのかも知れません。階段の高さや幅が1段1段違っていて非常に歩きにくかった記憶があります。攻め難いようにわざとそのように作ったと説明されたように思います。最西端へはどのような交通機関を使われたのですか?飛行機と、ジープ、まさか一部らくだではないでしょうね・・・・・・?
by 六日のアヤメ (2010-08-18 22:23) 

GGI

kobuさん、nice!ありがとうございます。
六日のアヤメさん、コメントありがとうございます。最西端へ行くのは、まず北京から銀川へ飛行機で行って、そこから20人乗り程度の小さな飛行機で敦煌に向かいました。敦煌からはチャーターしたマイクロバスで2時間くらいでした。残念ながら、らくだには乗りませんでした。
by GGI (2010-08-19 12:39) 

六日のアヤメ

敦厚からマイクロバスで現地に行かれたそうですが、道は自動車が走れるように整備されているのでしょうか?それとも砂埃をまき散らしながら走っているのですか?最西端を過ぎてもその道は続いているのですか?
by 六日のアヤメ (2010-08-20 16:32) 

GGI

六日のアヤメさん、前回の質問と今回の質問の答えを次のブログに書きます。

by GGI (2010-08-20 20:27) 

お世話になります

お世話になります。突然のご連絡大変失礼いたします。

東京にあるテレビ局で番組を担当しているものです。
今回、HPに掲載されております“万里の長城”の写真をぜひお借りさせて頂ければと思いましてご連絡させて頂きました。

番組の方で使用させて頂く
ご相談も含めて、下記連絡先までご連絡頂けますでしょうか?

yuma.abe@ytv.co.jp

何卒、宜しくお願い致します。


by お世話になります (2014-08-18 12:19) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。